北海道電 日本版TVAだった富内水力整備計画
北海道電力が、道内むかわ町の穂別電気利用農業協同組合(穂別電利農協)から972年に委譲された富内水力(1640㎾)の電源開発の背景などを明らかにする設置計画書が、同町内でこのほど見つかり話題になっている。広大なエリアを有する北海道は、その地域特性から独自の電化普及(無灯家解消)策を展開しており、949年から953年までの5年間、道民を事業主体とする「水力整備を含めた農山漁村での電化事業」に対して助成が行われていた。さらに950年度からは、農林漁業金融公庫によって国の融資も行われるようになり、そのため当時、道内では7つの農業協同組合と2つの漁業協同組合が水力を整備して、地域電化を進めていた。このうち1500人という最大の組合員数を持つ949年発足の穂別電利農協は、本部があった旧穂別町(現むかわ町)にも「設備計画に関する資料がほとんど残されていない」(同町)ことから、富内水力も「幻の水力」となっていたが、苫小牧市に来年1月に開館(予定)する「斉藤征義の宮沢賢治と詩の世界館」の設立準備室が、電利農協の初代組合長を務めた横山正明・村長がまとめた同水力の設置計画書を発見。これにより同水力が取水していた鵡川水系の電源開発の背景と歴史が明らかになったもの。
940年代の後半に作成された計画書は、B4判60ページで「穂別のTVA(テネシー川流域開発公社)」とのタイトルが付けられており、当時の電源開発が、933年に米国のフランクリン・ルーズベルト大統領がニューディール政策の一環として行った、テネシー州のテネシー川流域での公共事業をモデルに、同事業を推進した政府機関・TVAの取り組みを手本にして、鵡川水系で電源開発を進めようとしていたことが分かる。同計画に基づき富内水力は952年に着工したが、送水管などのトンネル掘削工事が、もろくて崩れやすい岩質(蛇紋岩)のために難航。さらに計画の変更などもあって、当初予算2・26億円が5・36億円まで高騰。工期も3年の予定が7年と大きく膨らみ、電利農協の財政破綻の主因となった。957年に運開した同水力はその後、送水管の崩落により運転を休止した後、972年に北海道電に売却されて取り壊された。電利農協も同年、解散したが、1000㎾超の水力を農業協同組合法(旧産業組合法)で規定する協同組合自らが建設し、地域に電気供給していた例は「道内では穂別電利農協を含め2例しかない」(道開発局)ことから、今回発見された計画書を、来年1月に開館する前記施設の杮落し記念として、一般公開するという。